院長ブログ
マスクをはずすことについて
そろそろマスクをはずす方も増えていくのでしょうね。でもウイルスがなくなったわけではないので、どう考えても注意は必要です。満員電車の中とか、やはりマスクをしていたほうがよさそうに思います。学校などではどうなのかというと、3年ほどマスクを皆さんずっとされていたわけなので、一部の学生さんは初めて友達に顔を見られるのが恥ずかしいとか、そんな意見もテレビなどで聞かれて、なるほどなあと思ったりしています。
この話のついでに思い出したことがあります。私が医師になってすぐの頃、ある病院で手術室に美人で有名な看護師さんがおられたことがあります。目の美しさというと、男性医師なら皆さんうっとり、、みたいなきれいな目の看護師さんでした。でも問題は手術室の看護師さんって、私たちと会う時はいつもキャップをかぶってマスクをされているわけです。目があまり美しいので、ついでにマスクの下にある鼻はこんな感じ、口はこんな感じに違いないと皆さん自由に考えてしまって、それぞれの男性医師が頭の中で美人に仕上げてしまうわけです。ある時、その病院で忘年会があって、招待をもらったことがあります。形成外科の医師全員で喜んで参加したわけですが、忘年会に出た時に、男性医師全員があの美人の〇〇さんはどこにおられるのかなあ?と当然さがしますよね?ところがどこにもそんな女性がいないのです。ああ、今回は欠席なんだなあと全員思っていたと思います。でもあとからじっくり目だけを見ていると、ああああああああ!この人!と見つけた方はまさにあの美しい目の女性ではないですか!ただ、多分男性医師全員がそう思ったと思いますが、鼻と口が各自のイメージとは全く違っていたわけです。形成外科医として何たる失態と思いましたが、マスクで顔をかくすと、男の人って、自由に自分の好きな顔を思い浮かべるのだなあと実感したわけです。なんと失礼で、あほでみっともない話でしょう。マスクの話のついでに思い出した、本当にここだけの話です。
投稿者:megaclinic
京都大学医学部ソフトテニス部ーすごい人たち
京都大学医学部ソフトテニス部では、例年この時期に納会と言って、卒業生部員を送る会を開催していました。この3年間ほどはコロナのために大学から部としての集まりが禁止されていて、今年も納会を開催する許可がおりませんでした。卒業生たちとは顔を合わすこともなく、学生たちが大学を出ていくのは気の毒で仕方がありません。そのため最近は私がOB、OG会の会長として、またそのほかの幹部もビデオであいさつをして、卒業生を送るということになっており、今年もそのようなビデオを作成しました。逆にいい機会と思って、京大の部として過去に活躍した名選手の写真を卒業生や現役部員に紹介してあげることにしました。
その中でやはり私自身がすごいと思っていた卒業生が何人もあります。クラブで最高の勝率を残したのが冨永、高橋という男子のペアです。私が京都大学に入学した時にはすでに卒業されていたペアで、高橋先生は私が入学当時、部の監督をされていました。冨永先生は山口県の高校チャンピオンで、全国的に有名な選手で、インターハイの全国大会の第一シードだったそうです。当時明治大学、早稲田大学、同志社大学、など全国の強豪大学からぜひうちの大学のソフトテニス部に来てほしいという誘いを断って、京都大学医学部に入試に合格して入学してきたというすごい人です。高橋先生も兵庫県では有名な選手だったそうです。二人が京都大学の体育会のソフトテニス部という全学のクラブに入部され、1年生の時から二人は全学の体育会と医学部の二つの部のエースとして大活躍をされました。医学部の大会もすべて参加されて、6年間で一度しか負けなかったというすごい歴史を作ったぺアです。この記録はこれからも絶対に誰も破れないと思います。普通あり得ないことですよね。6年間で約140勝して1敗ですか、、、。ほとんど負けるはずがないと思って試合をされていたのだなあと思います。このような選手たちに指導してもらった私たちは、いわば神の声を聞きながら育ったようなもので、今もあれこれ言われた言葉が浮かんできます。イエスキリストの使徒たちがキリストの言葉を世界に伝えたように、私もたくさん指導してもらった言葉を今は部のヘッドコーチとして、そのまま学生に伝えています。
投稿者:megaclinic
ハムラご夫妻
ハムラ法という言葉は日本では一般の方でもかなり知られた手術名だと思います。こういうすばらしい手術方法を考え出すということは長年の経験と常に新しいことを考えている頭のいい医師だからなのでしょう。このハムラ先生は多数の論文を書いておられて、その中の有名なものがフェイスリフトの際に下まぶたの凹凸のあるたるみ対策として彼が考え出したハムラ法です。コロナ騒ぎによるここ数年を除いて、それより以前は国際美容外科学会の理事会が1年に2回開催されていて、そのうち1回は必ずアメリカ美容外科学会の際に同時に開催するということになっていました。そのため長年ほぼ毎年アメリカ美容外科学会には参加していたわけです。ここでアメリカのダラスにおられるハムラ先生と知り合いになり、彼の家にも2回ほど遊びに行ったり、彼の手術も何回か見せてもらったりしてとても仲のいい友人の一人になっています。
彼の家はダラスにあって、大きな庭の後ろには森があり、白い大きな家はとても美しく、朝食、昼食、夕食はそれぞれ別の部屋で食べるということにしているようでした。朝食は朝日の入る部屋、夕食は庭や森を見渡せる大きな部屋というような調子です。
本当にとても元気なお医者さんで、手術の見学に行っていた時は、毎朝5時半にポルシェに乗って、ホテルまで迎えに来てくれました。彼の奥様はもともとニューヨークのティファニーで指輪やネックレスなどのデザインをしていた美しい女性で、とても物静かな方です。彼女は私にそっとなぜ夫はあんなにうるさい車が好きなんでしょうね。乗り心地もよくないし、私は絶対に乗らない。私は静かに優雅に走るベンツが好き、、というような方です。日本に来られた時も二人を案内したのですが、サンドイッチがきれいにパンの端を切って四角に作ってあるのを見て、日本はサンドイッチまで美しいと感激されるような方です。
一方ハムラ先生はとにかく高エネルギーの方で、朝6時半か7時くらいから毎日手術をされるわけですが、手術が終わると、数人の患者さんの診察をして、その後はゴルフの練習に行かれます。これをやらないと落ち着かないとか、、。まあ、世界に多くのすごい医師の友人がたくさんいるというのは、国際美容外科学会の理事会で活躍したり、会長にもなりましたので、そういうことも背景にあると思います。今でもハムラ先生をはじめ、世界の有名な医師が家族のように付き合いを続けてくれているのは本当にありがたいことです。国際美容外科学会(ISAPS)は世界の会員が家族のようになっていて、素晴らしい学会だと思います。この理事会に12年間在籍できたのはとても激務ではありましたが、本当に幸せなことです。
ハムラ医師ご夫妻
ハムラ医師のご自宅前で
ハムラ医師と
投稿者:megaclinic
シリア、レバノン
トルコとシリアですごい地震がありました。私自身も神戸大震災を経験していますので、あの時のとんでもない思い出が頭に浮かんでしまいました。地震直後にまわりのビルが倒壊していたり、火の手があちこちに上がっていた記憶が浮かんでしまいました。トルコもシリアもすこしでも多くの人が助かって、早く救援の手が届くといいのですが…。
地震の話を聞いて、シリアのことで思い出したことがあります。7-8年以上も前のことです。私自身が国際美容外科学会の手術指導を担当する教育委員会(Education Council)のチェアを2年間担当していた頃の話です。国際美容外科学会(ISAPS)のコースと呼ばれている講習会は1年に世界中で大体20回くらい開催されています。これを取り仕切るのがこの委員会の仕事です。チェアは特にすべてのプログラムを企画して、世界からそれぞれの講習会に10人から20人くらいの講師を選択して招待状を送って、参加できる講師陣を作る仕事があります。自分ももちろん一部には参加して働くわけです。世界各国からぜひ自分の国で開催してほしいというリクエストが委員長に常に多数届いています。
このころにレバノンから講習会の企画をお願いしたいという希望が届いていました。私自身がレバノンの学会会長や国際美容外科学会のその国担当のレバノン国籍の医師(ナショナルセクレタリーと言われています)と相談して、開催場所、日程などを調整するわけです。レバノンからこのような要請があったので、私自身が大体のプログラムを作って、いよいよ開催日近くになった時に、レバノンで内戦が起きて、レバノンの医師たちからとりあえず講習会を延期してほしいという要請が来ました。メールの返信でところであなたたちは無事なのかと聞くと、山の中に逃げているから安全だというような回答でした。その時私自身はこんな危険な国に誰も派遣したくないし、自分も行きたくないと心の中で思っていました。とりあえず延期になって、その後数か月してから、レバノンの医師からもう安全だから講習会を開催してほしいという依頼が再度届きました。仕方なく、講習会を企画して、なんとか開催したわけです。
会場の前には以前はホリデイインというホテルだったという廃墟のような建物があって、壁には多数の砲弾あとの大きな穴が開いていました。すごいことがあったのだなあと思いながら講習会を委員会のチェアとして、取り仕切っていたわけです。建物は悲惨でしたが、海は美しく、本来とてもきれいな国なのだなあということはよくわかりました。その時に会場に勉強に来ていた女医さんの一人がシリアから参加しておられました。会場でわざわざ私に挨拶に来られて、自分は形成外科の医師で、シリアの病院で働いているということと、この講習会では乳がんの乳房再建のプログラムがかなり入っているので、それを勉強したいと思ってシリアから参加しているということでした。また、自分の国も内戦でとても難しい状況があるが、乳がんという病気の女性も多く、乳房再建を希望する女性もかなり多いのだという話を聞きました。本来はこの講習会は彼女と同じ病院のもう一人の形成外科医と参加するはずだったのだが、先月この医師は内戦に巻き込まれて亡くなったということでした。
そんな中よく隣国のこの講習会に来ることができましたねえ?と聞くと、シリアではこういう講習会は全くなくて医学書を読んだり、ビデオを見たりするくらいしか勉強する手段がないということでした。そんな中、このような乳がん後の乳房再建の講演やビデオをたくさん見て、講師に質問もできるこのような講習会なら命がげでも参加するのが医師として当たり前でしょうというような話でした、シリアの内戦の中でこういう仕事をされている医師がおられるのは本当に頭が下がる思いでした。乳がん後の乳房再建は私がずっと行ってきた仕事の一部でもありますので、こういうプログラムを作ってよかったなあと思ったり、レバノンのような国で講習会を開催していいのかどうか迷ったこともありましたが、とにかく講習会を開催してよかったと強く思わせてくれたシリアの女医さんだったわけです。今はどうされているのでしょうか?地震による災害にまきこまれていなければいいのですが…。無事を祈るばかりです。
投稿者:megaclinic
医学部での試験
そもそも医学部って試験が多い学部だと思います。医学部は大学生活が6年間あるわけですが、5年生、6年生の頃になると、ほとんど毎週試験です。試験の数が多いのもいやですが、落ちると追試があって、これもプレッシャーがかかります。通常筆記試験ですが、追試は面接試験をする教授などもあって、これもいやなタイプの試験です、どう考えても。学生時代で特にいやだった試験はグループ試験と言われていたもので、たとえば解剖などはほぼ半年間ずっと死体解剖の授業が続くわけですが、基本的に大体5人の学生でご遺体が一人割り当てられて解剖の授業が進行します。この間ほぼ毎週試験があるわけですが、この試験が京都大学の場合は、同じグループの5人に対して一人の教官があれこれ質問をするわけです。一人ずつ順番に何周も繰り返して質問攻めです。この試験でいやだったのはもし一人が間違えたり、モゴモゴやってしまうと、この学生一人が不合格になるのではなく、他の学生がスラスラ全問回答をできていてもグループ全員が不合格になるわけです。迷惑をかけてしまった学生はグループの他のみんなにとても申し訳ないという状況になってしまいます。これはこれで学生にしっかり勉強しないと大変なことになるよと言っているようなもので、たしかにみんな頑張って勉強していたなあと思います。
このグループ試験以外でいやな思い出のある試験は卒業試験です。現在はどうもこういう試験風景ではないという話を聞いたこともありますが、私の頃の内科の卒業試験はクラスを3等分して、内科1,2、3の3つのグループの分けられて試験を受けることになっていました。それぞれの内科教授が一人ずつ口頭試問という形式で受験でした。これがとても不公平で、当時の第三内科の教授はもうとにかくほとんどの学生を不合格にするのです。第一内科や第二内科の教授はいつもほぼ全員合格で、この差はどういう理由?と先輩からも語り継がれていた問題です。試験はまず初診の患者さんの問診を学生が行います。患者さんは前もって試験に協力してくださいと説明がされていて、学生に症状を話したりした後に、内科の医師による診察、治療が行われるという段取りです。試験を受ける学生にとっては、どんな患者さんが当たるかわからないので、症状を真剣に聞いて、患者さんが部屋を出てからは自分で症状の確認、考えられる診断名、治療方針などを頭に入れてから教授の口頭試問を受けるわけです。当時の第三内科は免疫が専門の教授で、すべての質問がなんとなく免疫疾患につながっていくわけです。たとえば担当した患者さんがおなかが痛いくて下痢気味などの症状があれば、腹痛を起こす免疫疾患は何か?頻度の多いものから順番に言いなさいなど、そんな難しいことを言われてもなあ、、というような試験だったわけです。当然私を含めて多くの学生が不合格になって、追試でやっと合格になって無事に卒業ができたというわけです。今、思い返してもつくづくいやな試験でした。いつまでたっても試験のことが時々頭に浮かんで夢でうなされたりしています。
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赤ら顔、酒さの悩み
最近肌の相談でよく経験するものに、赤ら顔や酒さと言われる状態の肌の方がおられます。本当に異常に赤い肌の方もあって、これは毎日つらいですねえと思ってしまいます。原因はさまざまで、お酒の飲みすぎの方もあれば、化粧品などのトラブル、あるいはステロイド軟膏などの特殊な軟膏を長期に続けすぎた場合、内服薬による副作用、他には全く原因不明の場合など一人ずついろいろの状況があるように思います。まず原因がわかっている場合は日常生活の指導が必要になります。それ以外に治療方法としてはいくつかの方法が効果があると言われています。もちろん効果には個人差があり、効果が出る方もあれば、あまりはっきりしない方もあって、いろいろ試みて、自分に合っているものを探してもらうということになっています。簡単にすぐ治るものでもないので、根気よくご本人にも頑張っていただく必要があります。当院で行っている治療はフォトフェイシャルによるもの、ミノマイシンの長期の内服療法、最近開発されたタクロリムス軟膏などによる治療、さらにイオン導入などです。ご相談をご希望の方は、院長の高柳と看護師長の中川の二人がいる日の予約をとっておいでください。
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大阪大学で講義をします
来週の月曜日は午後に大阪大学で医療通訳としての勉強をしておられる学生の方に私が講義をすることになっています。当院では英語については私やスタッフの一人が英語を話すことができますので、診療に支障はないのですが、中国の方が来院された場合、日本語がわからない方も多いので、このような場合医療通訳の方で中国語と日本語のできる方を依頼しています。私も中国語はほとんど理解できません。かゆい?痛い?お疲れ様、そっとそっと、などが話せるくらいです。通訳の方にもいろいろのタイプがあって、実際にはとても便利な人もあれば、通訳として、こちらも手間取ってしまう方もないわけではありません。そういうことで私たちが医療通訳の方に求めるもの、また形成外科や美容外科、美容皮膚科などで、どういう治療や手術を行っているか、などについても講義をする予定になっています。
大学での講義は以前は京都大学や香川大学で非常勤講師をしていましたので、一年に何回もこれらの大学での講義を行っていました。また外国ではアメリカのボルティモアにあるジョンズホプキンス大学の形成外科で客員教授をしていますので、ここでも講義や手術指導をよく行っています。また同じアメリカのデューク大学の形成外科では国際美容外科学会からの派遣で、国際美容外科学会教授として講演を3日間くらい担当したこともあります。大阪大学は実は今までご縁がなかったのですが、今回招待をいただき、初めて講義を行うことになりました。新しい大学に行って、学生さんたちと直接接して、話をするのはとても楽しいことです。今日と明日はまだプレゼンテーションの合計時間やスライドやビデオなどの調整を行って、月曜日の講義の準備をしっかりやっておく予定です。
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ミラドライの治療による死亡例
最近のある医学論文でわきの多汗症の治療用のミラドライによる死亡例の報告があります。ミラドライはわきのエクリン汗腺に作用して、脇の多汗症の治療に用いられるマイクロ波を利用した医療機器です。基本的にわきがの治療用ではありません。脇の汗は減量するようですが、汗の量が減っても臭いは改善しないと思います。汗が少なくなればにおわないという意見もあるようですが、私はそうは思いません。やはりにおいます。手術でアポクリン汗腺を切除しないと治らないと思います。この報告にある亡くなられた方は、体臭の改善のために会陰部、性器、肛門周囲にミラドライによる治療を受けたそうです。治療後に発熱、強い痛み、治療部位からの出血といった副作用を生じ、トキシックショック様の症状が出て、急速な全身状態の悪化によって死亡したとされています。もともとミラドライはわきの治療用のものなので、適正使用ではなかったわけで、医師の責任が問わられることになりそうです。ミラドライについては以下のような注意喚起がなされています。この機器の添付文書には使用目的又は効果として(本品は、腋窩多汗症を治療するために使用する機器である)と記載されています。わきがなどの臭いの治療用でもなく、わき以外での使用についても記載されていません。
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国際美容外科学会、教育委員会のチェア
国際美容外科学会(ISAPS)には合計20くらいの委員会があります。現在私自身はSafety Committeeという医療安全委員会とでも訳せばいいのでしょうか、要するに美容外科の安全な手術のための委員会で活動を続けています。私自身はこの国際学会の会長を2年間担当したわけですが、それより以前には教育委員会という美容外科の手術指導を担当する委員会に8年間ほど所属していて、その最終の2年間はチェア(委員長)をしていました。たくさんある委員会のうちEducation Councilと言われるこの教育委員会が一番多忙な委員会ということになっています。
国際美容外科学会の主な活動の一つは毎年世界中のあちこちの国で、その国の美容外科医の手術指導を行うことです。毎年大体20回くらいこの講習会が世界のどこかで開催されています。この委員会のメンバーも毎年何回かは世界のどこかに行って手術の指導を担当しています。講演をする医師の発表だけだったり、実際に現地で何人も患者さんを集めて、世界中から招待された医師が手術室で会場からの質問を受けて、いろいろ説明をしながら実際の手術をしたり、死体を使った手術の練習を指導したり、いろいろのスタイルで手術指導をするわけです。そのために世界から約20人くらいの医師を指導医(ファカルティー)として招待をして、その交渉、通常3日間の講習会のプログラムの作成、招待した医師の採点、評価などを行っているのがこの委員会です。このチェアを私は2年間担当していたわけですが、これが会長と同じくらい激務であるわけです。1年間に世界中で20回もこのような講習会を準備してあれこれ担当するのは本当にきつい仕事です。日本を含めて、アジアでこの委員会のチェアになったのは今までに私だけです。アジアから最初に私が選ばれた時は光栄なことだと思って喜んでいましたが、あまりの激務で話が違うなどと途中で思ったこともありました。でもだれかが世界の美容外科ためにやらないといけない仕事なので、とにかくまあよく続けられたと思っています。名誉なことであり、ある意味世界を動かすこともできるような仕事なので、私の後に日本からもどなたかにぜひ頑張っていただきたいと思っています。今のところアジアからは2人ほど候補がいますが、日本の美容外科医が入っていないのは残念なことです。
この委員会にはあまり公表されていないルールがあります。それは世界中からこの医師に手術指導をしてもらいたいというリストを常に作っていることです。これは各国にISAPSの代表としての医師が決めてあって、さらに各国の美容外科学会会長や形成外科学会会長に、手術結果がすばらしい医師や新しい手術を発表してその結果が優れている医師などを毎年推薦してもらっているわけです。このリストの中から委員会のチェアが人選を行ってプログラムをつくって、その講習会への招待状を送っているわけです。ある国での講習会に講師として参加してもらった場合、次の活動はこの医師の採点を内緒で行っていることです。いい点がつけば、それ以降も何回も招待状が送られることになります。一方いい点がもらえなかった医師、たとえばプレゼンテーションの質がよくなかったとか、会場からの英語の質問にうまく回答ができなかったとか、実際に現地で手術を何人も担当することもあるわけですが、手術後にトラブルがあったなどのケースでは、今後招待しないというリストにいきなり入れてしまうこともあるわけです。こういう活動を続けて国際学会の承認したレベルの高い講師陣というリストを常に作っているわけです。当然この委員会のチェアとメンバーは全員このリストに入っています。また、このリストはこの委員会のメンバーだけが知っています。このような活動をして世界の美容外科を安全でレベルの高いものにしようといつも活動が続いています。今のチェアもよく知っている医師ですが、皆さんチェアになると本当の頭が下がるくらい頑張っておられます。本当にこの国際学会はすごい医師たちの集まりだなあといつも誇りに思っています。
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豊胸インプラントの除去の方法
過去にインプラントによる豊胸を受けた方で、そろそろバッグの除去か、入れかえなどを検討されている方も多いと思います。バッグにも劣化という問題があり、現在は豊胸手術を受けてから大体15年くらいで入れ替えをするか、除去をするのが望ましいということになっています。古いバッグは外膜の劣化が起きることがあって、これが起きると肉芽種ができたり、周囲に石灰化が起きて、痛みが出たり、バストの一部が硬く触れるようになったり、出血やリンパがたまったり、レントゲンで影が出たり、引きつれなどが出る可能性もあります。病気になることはないのですが、上記のようないろいろのトラブルが起きてくる可能性もあるわけです。定期検診を受けてもらっている方であれば、このような異常があれば検査でわかりますので、毎年の検診を受けていれば早期に対応ができるわけです。
バッグの入れ替えや除去を行う場合、実際に行う方法は3つのものがあります。バッグの除去のみ、除去と同時に脂肪の注入をしてバストがかなり小さくなるようなことを防ぐ、バッグを除去して、新しいバッグを入れる、などになります。除去のみを行う場合、バストは本来の今の状態のバストに戻ります。豊胸前のバストには戻りません。したがって、以前よりかなり小さいバストになるかもしれませんし、多少下垂などが残るかもしれません。除去のみを行う場合、除去後1カ月はバスト全体の軽い圧迫固定が必要です。これをやっておかないとバスト内に血液やリンパがたまることがあり、これが起きるとバスト全体の収縮が始まりますので、凹凸が残ったり、かなりの下垂のような状態が残ることがあります。この修正はかなり難しいことが多いので、1カ月の軽い圧迫固定は絶対にしておく必要があります。また脂肪注入を行う場合、一度にあまり多量の脂肪注入をすると血流の再開が起きないことがあり、注入した脂肪の壊死や溶解が起きて、しこりができたり、注入した脂肪があまり生着しなかったりするトラブルが起こります。このため状態によっては3か月後くらいに2回目の脂肪注入をしてご希望のバストの大きさになるような調整を行う必要があるかもしれません。脂肪注入を行う場合はバッグの除去と同時にしたほうがバストのやわらかさがあるので、脂肪の生着率が高くなるということがわかっています。バッグの除去の際に新しいバッグを入れておくのはとても簡単な方法で、バストの大きさも自由に選択ができます。以上3つの方法からご希望の方法を選択されればいいと思います。ただ脂肪注入をご希望の場合だけは採取する脂肪が必要になりますので、あまり痩せているという体形の場合は、この方法が難しいという場合もあると思います。
投稿者:megaclinic